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コレさんの私新聞「礎」第148号-2012年5月1日(火)

コレさんの私新聞「礎」第148号-2012年5月1日(火)

比較社会論って? 争い絶えない人間の業

 現在北朝鮮や中国、韓国、それに日本と米国が加わって「つばぜり合い」が進行中である。これは急に起こった訳ではなく、数十年前から予見できていた現象だ。何と言っても外交下手の日本が常に後手後手の弱虫外交である。従って歴代の政権党は常に受け身であり、今もってそうだ。

 北朝鮮、中国とも社会主義国だから「民主主義」とは基本的に噛み合わない。どうすれば仲良く共存できるのか。まあ、内部変革を期待するしかないだろう。全く異なる社会を比較するのを「比較社会論」と言ってよいのか分からないが、バランスシートにして比べると面白そうだ。 北朝鮮は正日の三男、正恩氏が新リーダーとなった。早速人工衛星と称したミサイルを祝砲代わりに打上げ、大失敗してしまった。世界のメディアも招待しての第一書記就任の記念式典だったが茶番に終わった。日本にとっては拉致問題の進展が足踏み状態である。 中国も北朝鮮も社会主義国だから韓国、日本とはイデオロギーが全く異なる。比較社会論での分析も容易である。

 中国は共産主義の先生であった旧ソ連の失敗を教訓にして独自の体制に進化させた。その最大の変革が開放政策だろう。圧倒的な人口と、労働賃金の安さで、日本を抜いて第2の経済大国となった。だがバブルが崩壊し、内紛が表面化すれば、一気に凋落する危険がある。比較社会論はまだ先の事になる。つまりまだ途上国なのである。ところが中国は尖閣諸島を領土と主張、学校で「沖縄は中国の領地で日本に貸してあげてる」と教えている。尖閣諸島を取り、次に沖縄を奪う計画「沖縄ビジョン」が着々と進行している。また世界の華僑等が琉球特別自治区委員会を設立したとの話も。これを戯言と笑い飛ばす人はおめでたい。 比較社会論は遠い昔の歴史も材料にしなければ意味がない。中国人には「覇権主義」が連綿と受け継がれている。そしてそれは着実に実現しているのである。経済大国の今それは更に容易になった。

 韓国は北の脅威に晒されている。もし北の政策が大きく変われば、韓国の先の見通しは予断を許さない。南北統一も簡単にはいかないだろう。こうして挙げてみると、東アジアは今激動の最中にあると言っていいだろう。

 こうした世界の流れに対して、緊張感を持つ日本人は少ないのではないだろうか。もちろんメディアの姿勢にも問題はあろう。なにしろ奇跡の復興を遂げて経済大国になったのだ。危機意識は「考え過ぎ」と片づけるのか。何とも脳天気な国民性だ。

 石原都知事が問題の尖閣諸島を買い取る話が進行中だ。各界にも大きな波紋が広がっている。石原氏は「中国が領有権を主張するのは宣戦布告だ。日本政府はなぜ怒らないのか」と怒っていた。同感である。戦後度重なる隣国とのトラブルで日本政府は一貫して沈黙してきた。「相手を刺激したくない」のが理由だ。

 しかし今からは通じない。近いうちに中国は部隊を上陸させて「実効支配」の既成事実をつくってしまうだろう。それで中国に抗議したり、国連に泣きつくのか。一度奪われたらもう帰ってはこない。中国にとっては尖閣は「沖縄ビジョン」実行のためのジャブである。地下資源は思いのままとなる。中国には近く到来するバブル崩壊に備え豊富な資源を確保する壮大な国家戦略がある。だからこそ尖閣で防がないと―というのが石原氏の本音であろう。

 私が入手した防衛筋の話では弱腰政府の思惑は別にして有事の時の準備は着々と進んでいるらしい。東日本大震災での捜索、がれき処理等に自衛隊が見事な行動を展開したことに、周辺国も驚いた―と聞いた。中国も迂闊に尖閣上陸という作戦はまずいと判断しているもようだと言う。

 さて比較社会学だが、この学問はもっぱら学生や研究者たちの「机上の空論」のように感じる。学問というのはゲームではない。実際の社会づくりに反映されなければ意味がない。かつてマルクスやエンゲルスによる非現実的理論がそのまま旧ソ連や中国で実践され、見事に失敗した。

 ソ連ではスターリンによる大量粛清、中国の内部抗争や弾圧が共産国家樹立の理想のもとに“無慈悲”に行われたが、現実には共産国家など幻想に過ぎなかったのである。

 比較社会論を論じるなら「なぜ人間は戦争を行うのか」の難問を解き明かすべきだろう。聖書的に言えば、アダムとエバから始まる。その子、カインとアベルの兄弟から争いが起こっている。骨肉の諍いが最初である。つまり人は生まれながらに諍い、闘う。自己の我欲を捨て、相手への思いやりがお互いにあれば仲よく暮らせる。単純な話なのに「社会形成」によって憎しみが生じるのだ。勿論理想的な社会もあっただろう。

 どの国も暗く、悲惨な歴史を背負っている。社会が全て競争を中心にする限り、憎しみ、争いは絶えないだろう。といって競争がなければ成長も意欲も湧かないのだが…。

テレビあれこれ

 国策にのっとって行われたデジタル化もほぼ完了した。各局は巨費を投じてデジタル化に取り組んだ。高画質は勿論だが、マルチ機能を使い多彩な情報提供が可能。だが今のところ宝の持ち腐れだ。

 だが民放の営業状況は低調である。キー局ではNTVやフジTVはまずまずだがTBSは苦戦だ。ゴーールデンタイムで視聴率一桁の時も…。

キー局では視聴率1で売上1億円ともいう。勿論時間帯で異なる。TBSの系列OBSが4月から木曜夜7時帯でローカル制作に切り替えた。一見ローカルの積極編成と見えるが、違う。これまで7時~11時台はキー局のネットの生命線だ。それを系列局に明け渡すことはありえない事態である。

ローカルの現場にとっては腕のふるいどころと言いたいが、現実は逆。まず製作費だ。ローカル売上の中での捻出は厳しい。頑張ってもコンテンツの低下は避けられない。このリスクをいかに吹き飛ばせるか、局をあげての取り組みに期待したい。

明日は他のローカルにも波及するかも知れない「テレビ冬の時代」の到来だ。ネットワークによる系列支配の構図そのものが壊れるのか。低俗番組に甘んじてきたTV業界の驕りもそろそろ反省の時期のようだ。

あげな話こげな話 デジタル社会 アナログは消えるのか?

 何がアナログで何がデジタルかは愚問である。この世はアナログで始まり、アナログで終わる―なんて言うと何を訳の分からん事をと言われるだろう。デジタルは手段であり過程に過ぎない。単なる記号だからだ。1と0の2種類しかない。この二つを組み合わせ、膨大なデータを処理する。あるいは自由に映像を描けるのだ。アナログとは目で見ることの出来る、いわば形そのもの。耳で聞く音そのものだ。これが我々人類が生活するための基本的な情報である。この情報を大量に伝達、処理するためにはアナログでは限界がある。それがデジタルの開発で変わった。それも恐るべき変革だ。世界中が今やデジタルの中に浸かっている。もはや抜け出せない。

 キー局が系列局の番組、CM連絡をFAXからデジタル方式に切り替えたいとの提案があり、そのプロジェクトに参加した。わが社では私が担当者になった。会議は長年付き合ってきたM社のFAX事業部のシステム設計書が資料として使われた。会を重ねるうち、M社が無理だと言い出した。つまりアナログである
FAXをデジタルに替えるにあたって同社のデジタル部署が供給拒否をしてきたというのだ。そんなバカなと問題になった。日本の最先端企業がお粗末な話である。つまりFAXデジタル融合は前例がなかったのだ。FAX事業部はついに社内調達を諦め、他メーカーからの調達を決めた。今なら笑い話だが、どのメーかーも発想がなかったのだ。

 デジタルの全国一斉送信は大成功だった。印刷もきれいだし、例えば「湾岸戦争緊急特番」の一報も、画面が真っ赤に変わり「緊急緊急!」の声を発する。私たちのプロジェクトの成果は大きかった。私が強く主張した結果「ポチシステム」と名付けられた。(ポチとは犬のポチ)「詳細はポチで送ります」というふうに使う。

 アナログのFAXは今も健在だ。これは発信元が写真や印刷物をそのままスキャナーで取り込み送信できるからである。但し印刷過程に難があるからカーボン紙のリボン方式が多い。私たちは目の前の機器が万能だと思い込みがちだが、そうではない。技術現場は必死で未知の世界を模索している。実際に魔法の小槌なんてない。アナログ人間がデジタルを駆使し、一般の人がいとも簡単に操作できる商品を完成させる。アナログをデジタルに替え、アナログで見せる(使う)。これは未来も変わらない。アナログあってのデジタルなのである。

スバルのせちいなぁ ~懐かしき1960年代 いなくなった男たち~

スバルのせちいなぁ(せちぃ=大分方言 せつない)

 オイラはドラマ、やくざなドラマ、オイラが怒ればドラムが鳴るぜ~、とこの家のお父さんが呻っていた。何やらお父さんの青春は石原裕次郎や赤木圭一郎の時代だったらしいね。そういえば…海を見つめて佇めば、白い怒涛が岩を噛む~なんて哀愁漂う赤木の歌も口ずさんでたなあ。

 1960年代というのはベトナム戦争、アフリカ17か国独立、ソ連が人類初の有人宇宙飛行に成功などなど世界が大きな転換期を迎えた時期だって。西洋化、近代化で地球全体が激しく動きはじめたんだ、と薀蓄好きのお父さんが懐かしそうに呟いてた。(淋しそうな顔だった)

 裕次郎の登場は欧米人への劣等感を吹き飛ばし、日本人が自信をもてる象徴だったと評論家のおじさんたちが言う。そういえばお父さんがテレビでAKB48人気で追っかけの男どものインタビューを見て「吐き気がする」と顔をしかめてたな。裕次郎、赤木、小林(旭)は野郎どもの憧れ、象徴で「男の中の男はこうありたい」という、若者たちの目標でもあったとお父さんは言う。う~ん分かるなあ。大体いい歳の男が若い女の子の追っかけなんて、お父さんの時代想像もできない椿事だって。

 女性アイドルのファン層は女性で男性アイドルは老若男女と幅広かったようだ。お父さんは「ロビンソンクルーソー」とかの冒険物が好きだと言ってた。未知の場所に独りで挑戦するって「男の原点」といっていいのかな。近頃草食系とか肉食系と世間が騒いでるけど、何で分けたがるのかな。

 草食系っていえば、今の民主党いや自民党も含めて「完璧な草食系」だね。尖閣諸島で中国がジャブを出してるのに「中国を刺激しないように」沈黙を決め込み推移を見守るという。もはやサムライはいない。老人を余計者として隅に追いやり、高額の介護保険料を課して僅かな年金をむしり取る「福祉破壊社会」に向かっている。

 こうなったら老人だけの「独立国」を創ったらどうかね、とお父さんがぼやいてたよ。働ける者は畑を耕し、家を建てる。衰えた人を老人たちで支える。贅沢なしでも大自然の中でのんびり過ごせるし、それなりに楽しめる。国家が老人に感謝して余生を保障するのが社会ってもんだ。それが虐待の国になろうとしている―そう言ってたな。そうそう、オイラたちの生き方に近づいてきたな。オイラはひたすら家人のおかげで生きてる。だけど魂は売らない。常に猫としての誇りを持ち、可愛さで家人を癒す。カケルの存在が癪だけど、まあ我が家は平和なのさ。



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